私が助けたい人

私は就労困難者支援グループについて語るとき、
「○○してあげる」「助けてあげる」という言葉は使わないようにしていたと思う。
人に指摘されて、1度だけ「助ける」という言葉を使ったことを認識した。
「助ける」という言葉はおこがましい。
「○○してあげる」と言われて嬉しい人はいない。
そういうこともわかっていて、私はよく、「助け合う」という言葉を使い続けていた。
互いに助け合っていければいいよね、と。

個人的に危機感をもってて、何とかしなければと思ってるささやかな宿題がある。

で、ほぼ同じ事を、自分の数倍、数十倍の規模で行おうと考えている人が、身近に居る。
今の私はその人のやってる事を助けたい。(もちろん役に立つかどうかは謎だ)
それは別にその人がやってることの「無償の友愛」の部分であったり人道的にどうとか言った部分に共鳴しての事では無い。
どう考えても社会的に問題になっていること、見過ごす事が出来ない事として、その問題に、何かしらの手を打たねばならんと考えてるからだよ。


ほっとけないのよ。
たぶんね、安保の時代にプラカード持ってた連中とかと同じ気持ちですよ。
看過できねぇ社会的問題だから、それに対して社会人が行動を起こすだけのことですよ。
私の目的はニートの失われてる労働力を社会に再度還元する事ですよ。
そこの軸足を可能な限りぶらさないように、目的意識をハッキリ持って組み立てていけば、
ある程度の成果は出せる筈ですよ。


1人でも2人でもいい、自分の現状に不安を持っているヤツの、その不安を社会への参加意欲や仲間への対抗意欲に転化できれば、そこで何かの道は開ける筈です。
後はその仕組みを長く、広く展開して、さらに一人でも多くもう一度社会に返すのです。


彼らを一時的に助けるような形になるかもしれない。
そりゃだって社会に参加してる人間がお膳立てして、ニートを社会に参加させようって言うんだから、
傍目から見れば助けてるようにしか見えないよ。 絶対に互助組織では無いのよ。
でも個人を助ける事より大きな目標(もしくは個人的な小さな満足←俺はこっちだ)の為なら社会的な命題への解決策だと思って実行出来る。 もう言葉を選ばなくてもいい。


誰かの相談に乗るのも、場を作って参加させるのも、彼の為、彼女の為だと思えば助けるという気にもなるやもしれんが、社会に還元するという大目標の為だと思えば、単に執りうる方策を実行しているだけの事。
全部自分の信念のためと転化できる。


こんな事をここで言ってるのも、私にとってその人のやってることが興味深いというその一点があればこそ。
その行動が絶対的に正しいと思えばこそですよ。


この先社会は成熟するに従って少子化がどんどん進むでしょう。
女に、お前女だから、夢や職業意識は全部捨てて子供バンバン産めって言えないでしょ?
そうして労働人口が減っていけば社会基盤その物がおかしくなる。
表に出ない彼らは、必要とされてるけど、彼らの固有の事情で参加できない。
社会にとって育てたのにあらかじめ失われた労働力になってしまう。


ね、関係ない人間なんて、居ないんだって。
何かしようと思ったら、今すぐにでも手を打つべきなのよ。


だから、応援してますよ。
企ての最初の方に相談してください。
私は自分の信念の為に力を貸しますよ。